実を言うとわしは子供が大嫌いやったの
人の子を見てもかわええと思った事なんて一度も無かったし
姉の子(甥と姪)が居るのだが、その子らが幼児の頃も
ひとつもかわええとは思わんかったの。
子供っていうものは鬱陶しいだけの生き物と思っていた。
だから、莉玖が生まれるその時まで
はたして自分は我が子を愛せるのやろうか?
かわええと思えるのやろうか?
大事に出来るんやろか?
と、ずっと心配をしとったのよ。
相方があんなに苦労して産もうとしている子。
そして苦労の末、生まれて来た子に愛情を持てんかったら・・。
で、悩みに悩んだ末の結論はお芝居をしようと。
莉玖が生まれて来たその日から、ずっと可愛いと思ってるフリをして
そのお芝居を死ぬまで続けようと。
そんな事を考えていた。
で、今なのだが・・・そんな心配をしてたあの頃が「あほか?」と思えるほど莉玖がかわええのである。
自分が死ぬまでに、こんなに愛おしいと思える対象物に巡り逢えるなんて思ってもみやんかったくらいかわええのである。
表情や仕草、指の動きや唇の動き、頭のてっぺんから足のつま先まで、すべてが愛くるしいのである。
顔面に蹴りを入れられても、しっこをかけられても、背中にゲロを吐かれてもうんこちびられても、何をされてもかわええのである。
不思議である。それが「我が子」ってものなのか?と考える。
我が子をかわええと思わせる遺伝子が、わしの中で強烈な働きをしているのか?それにしても働きすぎ違うか?と心配になるくらいかわええのである。(しつこい?もうええか?鬱陶しい?)
だから、そんなかわええ莉玖を産んでくれた相方とハンデのある出産を知り応援してくれた周りのすべての人に感謝感謝の2004年であった。
出産の為に相方が4ヶ月も入院したり、キリコと別れたり、好きだった会社を辞めたり(でもまた戻ったり)、いろんな事があった2004年やったけど、莉玖と出逢えたこの2004年はじじぃになって呆け倒しても死ぬ間際まで忘れられない年となる事でせう。